同族は吉か凶か






 大学を出てから43歳で自身の会社を興すまでの間在籍していた会社は、昭和32年に従業員21名で創業を開始したという。入社したとき、元北大助教授のFさんが社長であり、同じ北大研究室の助手であったSさんが専務であった。その後、Fさんが会長となり、Sさんが社長となった。FさんにもSさんにもご子息がおられ、いずれのご子息もハーバードなどの名門に行くほど優秀だと伝え聞いた。しかし、FさんもSさんも子息には会社を継がせないと断言するばかりか、同族はダメだと、ことあるごとに力説していた。社員のモチベーションが上がらない、誰にも社長の可能性があり、争ってこそ会社は洗練される、というのが彼らが同族を嫌う理由であった。その後、会社は今では第10代目の社長となり、1部上場、業界トップの座にあり、取締役を含めて同族は皆無を押し通している。

 私事であるが、吹けば飛ぶような零細会社をやり始めて23年が経つが、前の会社の教えを守ってか、最初から息子に継がせる気はさらさらない他、同業他社に就職の世話をするのも嫌がった。もっとも、こんなチンケな会社を継ぎたいとも言わなかっただろうが。

 今、世間を騒がしている骨肉の争い劇を見て、ふと、前にいた会社との違いを思った。同族会社は珍しくなく、むしろ日本のほとんどの会社が何らかの形で同族会社である。同族会社にはそれなりのメリットもある。意思が通じ易い、経営方針をまとめ易い、経理を含めた秘密保持がし易い、乗っ取られ難いなど。しかし反面、一歩間違えるとこのような骨肉の泥試合を公にさらすことになる。こうなると、血は汚く、感情が複雑に絡み、本筋の会社経営論から逸脱し、株主に対する背任行為となり、結果、業績はますます低迷して回復不能に陥る。それに、どうせ頑張っても取締役なんかなれないのだからという、同族会社の社員の口癖を耳にタコができるほど聞いてきた。

 今回の骨肉の争い劇について、どちらが正論だとか意見するつもりは毛頭ない。それほどに馬鹿げていて、意見するほどの価値もないからである。ただ、同族会社が悪いとか良いとかの問題ではなく、両人とも社長としての資質に欠けていることを申しあげたい。




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貧乏人の株商い




 このところ、ネットストックに凝っている。仕事の合間に株価変動をボードで確認しては、小商いしている。一般投資家といえばそうなのだが、貧乏人のやることは知れてる。リスクの少ない安い株価の銘柄を数少なく買って、少し上がったところで差額の利ザヤを得るというセコいやり方である。

 基本的にお金というものは汗水垂らして稼ぐものだ。そういう考えに変わりはない。博打で稼ぐなんてことは言うに及ばず、株式投資などでお金を稼ぐというのもどこか抵抗感があり、とても仕事の代価として容認することはできない。そんな堅物であっても、このところのアベノミクスに便乗したい気持ちがある。それに、ここんとこの不景気で役員報酬をゼロにした分、小遣いの補填といった意味合いでやっている。趣味の仕事と商いの分業化である。

 株価はいつの時代でも変動する。株価変動は大潮小潮の潮汐変動と同じように大きな周期と小さな周期が必ずある。アベノミクスが株式になぜ効果があるのか。変動はあっても全体傾向が上昇気運であるから売り手がついて株式市場が活況化するからだ。その前の暗黒期間は下がる一方だから誰も売ろうとしない。だから株式市場も低迷していた。

 貧乏人が株に手を出すには基本法則がある。元手はせいぜい50万円か100万円程度の少額にする。1000円以上の株価はリスクが大きいので手を出さない。小さな周期の底を見計らって少数買う。一攫千金を目指さない。元手の1%かせいぜい数%上がった時点で(元手が10万円なら1万円かせいぜい3万円)売る。買った株価より上がるまで何年だって辛抱強く待つ。これさえ守れば損することはない。

 下は最近の私の売買履歴を示す株帳なるもの。銘柄は隠した。同じ銘柄は同じに着色している。勿論、連戦連勝であるが、数千円や1万円という小商いの実態を示す。吾ら小市民や貧乏人が株をやれば株式市場はさらに盛況となり、全体的な株価の下支えになることは間違いない。





売買履歴


注意事項:株式はあくまで個人の責任で行ってください。

ヤマト魂

 震災直後、現場が見せた危機対応力の高さが評価された企業がいくつかあった。その代表格がヤマト運輸である。政府による救援物資の輸送が困難を極める中、同社のドライバーたちは自発的に自治体に協力を申し出て、物資の行き届かない避難所への配送を手がけた。本社がこの活動を知ったのは、しばらく経った後のことである。急遽、「救援物資輸送協力隊」を組織し、グループを挙げて物資の輸送に尽力することを表明した。

 「宅急便」の生みの親である故小倉昌男氏はこう言っていた。「ヤマト運輸では、社長も営業部長も1円も稼がない。セールスドライバーが1個1個集荷する以外に収入の道はない」と。一番上にドライバーを、一番下に支店長などの幹部を記した「逆さまの組織図」が存在した。

 「時間指定」は東北、「スキー宅急便」は北信越、「ゴルフ往復宅急便」は関東の支社といった具合に、同社の新サービスは現場の提案から生まれたものが数多くある。

 震災で見せたドライバーの機転は決して偶然の産物ではない。故小倉氏の指導のもと、経営者が理念ばかり言うのではなく、現場の判断が最重要であることの実践と言える。

 多くの企業は社訓で「顧客第一主義」を掲げる。しかし、真に「顧客第一主義」なのか否かは、こういった非常時に試される。逆境の時こそ、人間や企業の本性が垣間見える。理念の浸透と不断の努力。それが非常時にどれだけ生かされたのか、それがよくわかる事例である。真の「顧客第一主義」というのは建前だけのものや紙に書いたものではない。現場第一主義にある。

トヨタとマツダ

 企業によって体質はさまざまである。企業体質は経営によって育まれ、その企業体質が企業発展の命運をかけることになる。こうしたことは頭では容易に理解できるが、実際にそれをじかに身をもって経験すると、さらに実感としてわかる。

 独立する前に私がいた会社は、大学の助教授と助手が始めた小さな個人商店であったが、創業38年にして一部上場し、一躍、同業種の最大手にまで登りつめた。しかし反面、会社体質はきわめて質素であった。同業他社の会社の社長が運転手付きのベンツで出社するのに対して、わが社の社長は電車と徒歩で1時間かけて通勤する。それも誰よりも早く。会社の接待費はゼロ円、ゴルフ厳禁、真面目一徹の会社であった。その体質が驕りを戒め、不景気な中でも成長する原動力になったであろう。ベンツで出社する社長の会社のいくつかは、その後、倒産したと後になって聞いた。

 名古屋勤務の時代、トヨタはお得意さまであった。新たな工場計画の打ち合わせに本社ビルに行った。質素な打ち合わせ室に通され、お茶のひとつも出てこない。室外の自販機で勝手に購入してくれという。どんな大切なお客様でも同じ待遇だという。おまけに12時になると自動的に部屋の照明が消された。

 2~3年の後に広島転勤になり、今度はマツダの本社ビルに行く機会があった。埋立地に立つ本社ビルに亀裂が発生したので、その調査と修復のための打ち合わせであった。マツダの敷地に入るにはマツダ車でなければならない。わざわざレンタカーを借りて入場した。絨毯がひきつめられた綺麗な部屋に通され、秘書風の若い美人がお茶をもってきた。それも少しぬる目の高級抹茶を。

 質素で効率的で敷居の低いトヨタと派手でしがらみが多いマツダ、この企業体質の違いは歴然としている。その後の両者の成長振りをみれば、どちらが健全な企業体質であるかは一目瞭然であろう。その後、マツダは外人社長となり、マツダ会と称されるそれまでの協力会というしがらみを全廃し、企業体質も変革した。そして、マツダは成長路線に戻した。

賞与

 例年、この時期になると賞与のことで頭を痛める。会社を設立して18年、会社の経営はその時々で浮き沈みはあったものの、賞与は必ず支給してきた。景気の良いときには1人100万円を超えた年もあった。しかし、リーマンショック以来の不景気で、会社の経営がままならない。実際のところ、賞与なんてとても出せる状態ではない。

 しかし、従業員にはそれぞれに家庭があり、正月を迎えるに準備もいるであろう。不景気と承知の上でも、多少はあてにしているであろう。それに、景気の動向とは関係なく従業員は同じように働いている。評価は別として、少なくとも本人は頑張っていると思っているであろう。さて、どうしたものか。

 散々悩んだあげく、役員報酬から泣く泣く捻出することにした。私の役員報酬も従業員給与と大差ないことを従業員は知っているので、かわずかばかりの賞与にも喜んでくれた。本心は万札についていきたい思いであるが、これもいたしかたない。これでみんなが笑顔で正月を迎えることができそうだ。
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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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