日本人の心の襞(ひだ)







 日本人を長らくやっていると、日本人っていいなぁと思う一方で、日本人って面倒くさいなぁと思うことも多々ある。それは概ね人間関係においてであり、自分のこともそうだし、他人の人間関係を傍でみててもそう思う。

 日本人というのは、人間関係において何かと摩擦を避けようとする。まだ摩擦が生じていないのに摩擦を予見し、その時点で相手と接触することを避けようとする。なんとなく気まずい雰囲気とか、なんとなく意見が合わないとか、なんとなく反りが合わないとかを察知し、うやむやのうちに縁遠くなる。

 なんとなくでもこうだから、意見が違うとか、相手の非礼とか、はっきりした理由があったらなおさらのことである。無論その場合は、意見の違いを追及することもなく、相手の非礼に抗議するわけでもなく、うやむやのうちに解消しようとする。

 抗議したり反論したり、意見の相違を議論したりしても溝が埋まることはないと確信している。そうすることによって返ってややこしいことになり、関係がさらに悪化し、自身が傷つくことを恐れているのだ。奥ゆかしいといえば奥ゆかしい。大人の人間関係といえばそれまで。上手な人付き合い法といえばそうなのかも知れない。ただ私としては、そういうことに不満を禁じえないことがある。

 同じことを欧米人と比較した場合、恐らくであるが、彼らはどういうことなのかを追求し、議論を求め、場合によっては相手に抗議をするであろう。そして、とことん議論を尽くした上で白黒決着して着地点を見出すであろう。当然のことながらその結果、完全決別もあるし以前より信頼関係が生まれることもある。

 人間関係に限らず、物事の解決方法における日本人と欧米人の違いは、狩猟民族と農耕民族、大陸文化と島国文化によるの血の違いであろう。日本人の中にもうやむやを嫌う人間がいて、そこで忸怩たる思いの不完全燃焼の決着となることも多い。私もどちらかと言えばはっきりしたいタイプであり、自分でもゲルマン民族の血が混じっているとさえ思うことがある。


 日本人の人間関係の処方と欧米人のそれと、どちらが賢いのかどちらが良いのか一概には言えない。ただ、人間関係も社会環境も益々多様化・システム化し、凄まじいスピードで変動している現代において、従来どおりの日本人の人間関係や物の考え方を押し通して済むのかというと、少し疑問に思う。否が応でも白黒決着すべきこと、否が応でも人間関係の清算が求められること、曖昧では通せないことが多くなるのではと思う。素朴で朴訥とし機微に富んだ日本人らしい人間関係を残しつつ、明確化を求められる機会に備えるとしよう。




スポンサーサイト

わが身は自ら守れ






 例えば中国の食品衛生問題が報道されたときなど、日本人の多くは日本の食は安全で良かったなんて思うだろう。そこが日本人の浅はかなところである。無論、あの事件は中国当局の意図ある思惑による茶番劇なのであるが、はからずもその寸劇は、外資系ではなく自国の食品衛生はもっと劣悪であることを改めて世に知らしめる結果となった。

 果たして、中国の国民はこの事件をどう見ているのか。多くのインタビューから察するに、国民の多くはお見通しであるとともに、自国の食品衛生はさらに劣悪であることも認識していることが読み取れる。認識した上で、彼らは不衛生な食品を受け入れている。否、現体制下では受け入れるしか仕方ないことを承知しているのだ。

 一方、日本の食は安全で良かったなんて思う日本人はどうだろうか。確かに日常的な食品の衛生管理は徹底しているように思われる。しかし厳密な意味でそうであろうか。食品偽装は完全に一掃されたと自信をもって言えるだろうか。食や製品の管理が徹底されているとはとても言えない。

 その証拠に、明らかに体に効果のないものや有害なものを野放しにしているではないか。サプリメントをはじめとする多くの健康食品がそうである。口にするものだけではない。皮膚に触れる洗剤、柔軟剤、歯磨き粉、育毛剤、シャンプー、トリートメント、化粧品などもそうである。これらの有害性について何も語らない政府、報道、研究機関が問題なのは無論であるが、それを明らかにしようとしない、また知ろうとしない国民がいるのはもっと問題である。

 自国の実態をお見通しの上でやむなく受容している国民と、自国の実態を知ろうともしないで自画自賛する能天気な国民と、どちらが賢い国民であろうか。

 昔から日本は美しい自然と四季に恵まれた素晴らしい国であった。戦後も国民の知恵と努力によって復興し、やがて技術立国として急成長を遂げた。日本が世界の経済を牽引した時代が去った現在においても、世界に冠たる技術力や経済基盤、国民力など自国民を自画自賛する国民が多い。そして、この国は我々の生命と財産を守ってくれると今でも信じている向きがある。果たして、このような性善説でいいのか。

 日本における食や家庭用品に関する偽装は原発の隠蔽にも繋がる。我々が目にする施策の多くは表向きの建前であって、本質的なものは全て隠蔽されているといっても過言ではない。原発事故が発生して避難誘導された先は最も危険な方向であり、避難先を転々と廻されたあげくが、3年以上も経った今でも定住する場所の当てすらない。逆効果や副作用の説明のないまま受け入れた健康食品や家庭用品によって健康被害を受けている。自然災害だけは仕方ないだろうと思うかも知れないが、よくよく検証すれば適切な施策が講じていないことが命取りになっていることも多い。

 これらはすべて国を妄信することに由来がある。この国は安全である、決して裏切らない、日本が敵国から攻められたら必ずアメリカが守ってくれる。そういった妄想が、「考えない国民」にしている。国を疑ってかかり、自らが調べ、自らの判断で行動する。日本人にはこうした視点が欠けた世界でも稀な国民であることを認識しなくてはいけない。平和ボケ、安全神話にどっぷりと浸かった国民性から、そろそろ、わが身は自ら守る自立した国民になることを切に望む。





プロフィール

geotech

Author:geotech
geotechのブログへようこそ!

団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
blogram投票ボタン
フリーエリア
シニア・ナビ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR