競馬は見るものか買うものか


 最近あることがきっかけで、日曜日に競馬の重賞レースをテレビで見る機会が多くなってきた。名古屋の独身サラリーマン時代、毎週のように中京競馬に通っていたことを思い出す。あのとき、シンザン記念という重賞レースで南井騎手騎乗のロングウイナが優勝し、払い戻し窓口に手を突っ込んで大金の札束を鷲づかみにした。自身の目によってパドックで見立てた穴馬が勝った満足感とあの札束の感触は、未だに忘れられない。その札束はというと、「悪銭身に付かず」を地でいったことは言うまでもない。以来、勝ち逃げのまま競馬場に足を運んだことがない。

 すべてのギャンブルの中で、競馬ほどロマンと迫力を感じさせるものはない。現場で真近に見るその迫力は凄まじいものであり、ドタドタドタツ-と迫り来る迫力は実際に見たものでないとわからないだろう。競馬の魅力は、走るものがボートでも自転車でもオートでもない、生き物であるからに他ならない。ただ、同じ生き物といっても、ブタレースやドッグレースではさまにならない。なぜなら、ブタやドッグが単なる動物であるのに対して、サラブレッドには血統に下支えされた長い長い悠久のロマンと歴史があるからである。

 したがって競馬は本来、神聖なものであり、基本的に見るものであると私は考える。現場であってもテレビ画面の前においても、紳士然と静かに厳かに、ロマンを夢見ながら見るものであると考えるのである。であるから、競馬でもって儲けようなんて考えは愚の骨頂と考える。

 しかしそれでも馬券を買おうという場合は、これはキッパリと夢やロマンから切り離した冷淡さを持つべきである。負けを承知で好みの馬に夢とロマンを賭けるのは生半可なやり方である。ましてや、人気馬だけを追い求めるのは素人極まりない。一端、馬券を買おうとするならば、冷徹に、一途に当り馬券を追い求めるべきである。

 ギャンブルとしての競馬が難しい理由は、勝つ要素が多すぎることにある。例えば競艇だと、ボートとエンジン、選手の技量の3要素となる。ボートとエンジンはその都度選手にあてがわれるので、ボートとエンジンの調子を現場で朝早くから記録すれば、電卓程度の計算でより確実性のある勝舟券を予想できる。それに対して、競馬には要素が多すぎる。血統、距離、調教師、騎手、右回りと左回り、コース、芝とダート、芝状態、負担重量などなど。これらが複雑に絡み合うため、多次元方程式を駆使しても理論的正解を求めることはできない。それだけ競馬はギャンブルとしても奥が深い。

 そこでオッズなるものに着目してみた。オッズとは選挙前の出足調査みたいなものであり、重賞ともなるとオッズはほぼ結果と一致する。オッズは実力と人気の総合評価みたいなものである。先週の高松宮記念を例にすると、一番人気のロードカナリアの複勝オッズは1.1倍である。つまりロードカナリアが1着か2着に入れば100円が110円になるということである。そこで、このオッズの逆数が1着か2着に入る確率と考えることができる。つまり1.1の逆数は1/1.1=0.91であるから、ロードカナリアが1着か2着に入る確率は91%と見立てることができる。

 この確率法を展開して枠連の確率を算出し、これをまたオッズに戻した値を「理論値」とする。「予想値」(オッズ)との比をとると、「予想値」に近い「理論値」の組み合わせ(比が最も低いもの)が最も確率が高い枠連の組み合わせと考えることができる。先週の高松宮記念を例に算出した結果が下表である。





競馬


 「予想値」(オッズ)/「理論値」の比が最も低い枠連は6-6である(表の◎印)。一番人気の枠連は6-8(表の〇印)であったが、結果は6-6であった。当っている。100倍以上の万馬券枠連を除外すると、理論値よりも高いオッズの買得な枠連の組み合わせがわかる(表の△印)。
 今回、たまたま当っただけかも知れないので、さらに検証していく必要がある。いずれにしても、競馬は聖なるものにして基本的に見るものである。そして仮に競馬で儲けようと思うなら、ロマンをかなぐり捨てて冷徹かつ論理的に追求すべきである。





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