私の「わが母の記」観後感


 最近話題の映画といえば、「わが母の記」である。第35回モントリオール世界映画祭のワールド・コンペティション部門で審査員特別グランプリを受賞したと聞く。ブログでもいろんな人が感想を述べている。感想の多くは、感動的だったとか、主人公演じる役所広司の適役、樹木希林の名脇役振りだとか、いずれも高い評価を伝える。亡き母について人一倍思い入れが強い私としては、見過ごすわけにいかなかった。

 人間誰しも年老いていくと、次第に過去の記憶を失いつつ壊れていく。その様子を母と息子の愛という視点で描いている。それなりに感動し、ややユーモラスな構成には映画ならではの旨みがあった。しかし、どこか府に落ちない不完全燃焼の何かを感じた。

 その何かのひとつは、原作との違いであろう。とくに、人間の心の機微や内面を文字表現する場合と映像表現する場合の違いを感じざるを得ない。映像表現は文字では表現できない多くのことを可能にする。しかし、心の機微などの内面的な表現においては、ときに文字表現は映像表現を上回るものであり、映像表現では決して真似できない限界があることを感じた。

 不完全燃焼のもうひとつは、特殊な階層社会という環境設定に起因する。昭和30年代というまだ敗戦を引きずる貧困の時代において、富に恵まれた売れっ子作家の経済環境の設定にある。東京の自宅と修善寺の屋敷に軽井沢の別荘、家政婦や秘書がいて、派手なパーテイーを催すなど、それは当時の人の生活レベルからは雲の上の環境であったろう。

 同じ老人を介護するにも、当時の人にとっては真の意味の姨捨山の感覚であったろうと。母と息子の関係を語るにも、経済状況によってその有りようは大きく変わるものである。自身の母と息子の関係と対比した場合、どうしてもそこに大きな違和感をぬぐい切れず、忸怩たる思いが募るのである。



スポンサーサイト
プロフィール

geotech

Author:geotech
geotechのブログへようこそ!

団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
blogram投票ボタン
フリーエリア
シニア・ナビ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR