世に羽ばたく若者へ(今を生きる知恵)





 今どきの親は子どもに必要以上に甘く優しい。必要以上に子どものご機嫌を伺う。学校の先生は、腫れ物に触る思いで生徒と接する。冗談は慎み、注意する言葉にすら気を遣う。体罰などもってのほか。悪いことをしても、親も先生も地域も決して頭ごなしに叱らない。それどころか、見て見ぬ振りをする。それが事件に発展することもある。

 一昔前まで、親父は一家の大黒柱として鎮座し、日常は子どもの言動にいちいち口を挟まず、しかしここぞというときは、拳骨を食らわす恐い存在であった。近所のおじちゃんやおばちゃんだって、わが子と同じようにダメはダメと他人の子を叱った。学校の先生は悪いことした生徒に水満杯のバケツを持たせ、廊下に立たせた。ときには拳骨も平手打ちもあった。それでもモンスターペアレントは現れず、教育委員会が問題にすることもなかった。

 一体、いつの時代から世の中こう柔になったのか。家庭で過保護に育てられ、学校や世間から叱正されることなく、無垢で無菌状態のまま、やがて世に出た善良な若者の行く末はどうか。突然に現われた現実社会の壁に立ちふさがれ、ある者は経験したことのない叱咤に萎縮し、ある者は悪徳の誘惑に騙され、やがて社会から逃避する。善良一辺倒な無垢な人ほど抵抗性はなく、悪徳の誘惑に騙され易いからである。

 会社ひとつとってみても、社員の福利厚生、裁量労働、優しい職場環境、男女平等が叫ばれる一方、実際には下々の会社の現実は厳しい。社会は美しいばかりではない。むしろ醜いことの方が多い。善良者ばかりではない。むしろ悪人の方が多い。不道徳や理不尽がまかり通り、偽善が蔓延する。この世の中で生きるには、不道徳や理不尽に慣れて抵抗力を身につけなければならない。三島由紀夫が若者に向けた言葉「教師を内心馬鹿にすべし」は、まさに逆説的な表現である。

 一番の不幸者は、この柔な時代に育った今の若者である。今となっては、社会の不道徳や理不尽にまず慣れることである。慣れた上で、気にしない鷹揚さを自ら備え、どうすればこの世で生き残れるかを自身の頭で考えるがいい。

 若者がよく口にする言葉。「われわれ若者をひとくくりにしないで欲しい。われわれにはみな個性があるのだ」と。それでは問う。君たちの言う個性とは何なのか。解剖学者の養老孟司氏の言葉「個性は徹底的に真似をすることから生まれる」はそのヒントを与える。個性とは、わざわざ無理して自分探しをすることではない。社会や身の回りのことに対して、常に問題意識を持ち、常に自身の頭で考えることである。それを繰り返すことによって、他人と違う自身の考え方が生まれる。それが個性ではないのか。

 入学式や入社式のこの季節にちなんで、世に出る若者へ贈る言葉として、つぶやいてみた。人としての優しさは大人のずるさと一緒にしか成長しないのだと思う。





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ゲームに走る若者の心理



 100円玉硬貨を入れると、おもちゃが入った玉がガチャッっと出てくる、昔ながらの「ガチャ」。子どものころからの楽しみの景品装置であり、今でもファミレスなんかに置いてある。先日も孫とファミレスに行ったら、案の定、ねだられた。何でもない、それこそ子ども騙しのおもちゃであるが、それでも子どもは喜ぶ。親とて100円で済む気楽さがあり、「ガチャ」はささやかな庶民の子どもの楽しみであった。

 その「ガチャ」をソーシャルネットゲームとして進化させたのが「コンプガチャ(completeガチャ)」である。1回数百円のソーシャルゲーム内の「ガチャ」で様々なカードや武器などを入手する。決められた絵柄や武器の組み合わせが揃うと、一段上のカードや武器を手にすることができる。さらにそれを揃えると、また一段上のカードや武器を手にする。それに10万円から数十万円を費やすが、それでも上級になると、見ず知らずの多数のネット友から羨望がられたり、尊敬されたり、殿だの大統領だのと英雄視される。

 この「コンプガチャ」は、今やソーシャルゲーム業界の大きな目玉であるが、昨日、やり玉に上がった。そのきっかけは、小中学生に毎月数十万円の請求がきて社会問題になっているからである。消費者担当相は「射幸心を煽る」ものであるとして、近く、事業者を事情聴取するという。事業者には今年からプロ野球に参入した、かの企業も含まれる。

 スマートホンのアプリに搭載されたこの種のゲームに小中学生がお金の仕組みとかをあまり理解しないで走るのは、わからないわけではない。この場合は、アプリに制約を設けるとか、ゲーム費の上限を設けるとか、親の承諾を受けるようにするとか、対策は可能である。

 問題は20代、30代のいい若者が巨額のゲーム費を投じてでも熱中する、その心理である。消費者担当相は「射幸心を煽る」ものというが、果たしてそうなのだろうか。「射幸心」とは、「偶然の利益を、労せずに得ようとする欲心」である(広辞苑)。しかし、そのゲームによって上級になっても実際に利益は得られないのだが、それではなぜ、と大人は考えてしまう。

 それでは、利益を得るためにギャンブルに走ってもいいものだが。ギャンブルにのめり込む若者も確かにいる。しかし、ゲームに熱中する若者にとっての利益とは、お金でなく、羨望や尊敬や英雄視なのであろう。彼らはお金に代えられぬ価値をそこに見出しているとしか考えられない。

 ゆとり教育の中で競争が否定された世界から、いきなり受験社会と現実の娑婆の世界に出た彼らが目にしたものは、それこそ競争原理の世界であったはずである。その世界で勝者にはなれないことを悟り、さりとて夢や希望も見えないとなれば、せめて偶像の世界で優位に立ちたいと思っても不思議ではない。

 ゲームに走る若者の姿は、単に今風の社会現象として捉えてはならぬと考える。悩める内向きの若者の虚像であり、それは将来社会への警告と受け止める。「青年よ、大志を抱け」と、もう一度、クラーク博士に檄を飛ばして欲しいものである。



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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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