朝 目覚めて

洗面所の鏡に映る

今日最初の自分の顔

君はまじまじと見ることできますか

ちゃんと見て いい顔していたら

君の昨日はきっとすばらしかったはず

もし いい顔していなかったら

君の昨日は少し残念かもね

明日いい顔見れるように

今日を明るく生きればいい

鏡に映る君の顔は

いい顔もよくない顔も

みな愛おしい素の君なのです




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老い桜


東京は満開の桜で賑わっているようですが、
ここ広島は先週、開花宣言があったばかりで、
まだ1分咲きといったところです。
みなさんのところはいかがでしょうか。



老い桜


老いてなほ 花一輪の 気高さよ


ボロボロになっても懸命に咲こうとする姿。
まるで私のようです。



梅雨なればこそ



梅雨は鬱陶しいものなれど
それはそれで風情もある
雨足はショパンの調べにて
濡れた紫陽花には凛とした気品を感じる

木々や草花は暑い夏に備えて
隅々にまで滋養を巡らせる

人とて同じこと
やがて来るべきときに備え
今がまさに蓄えのときである

自然も人も水も溜まりのときにて
大きな器の備えによって
いざ真夏への心構えとせん

読書もよかろう
音楽もよかろう
勉学や静養もよかろう

梅雨なればこそ
心穏やかに淡々と




そうなって初めて


そうなって 初めて自分が変われる
ふしぎに 以前より優しくなった
人にも花にも自然にも
スローの生活についていけるようになった
よ~く話を聞いてあげれるようになった

そうなって 初めて気づく
今まで 外ばかり目を遣っていた
身の廻りのこと ちゃんと見てこなかった
あなたのことも 花のことも
今まで 生き急いでたのかも 
日々の平穏がこんなにも幸せなことなんだと

そうなって 初めて聞こえる
人と花の内なる声を

そうなって 初めて感じる
人と花の内なる思いを

そうなって 初めて知らされる
生きることの辛さとすばらしさ
生きるための勇気と愛を

「そうなって」ってなに?
内緒です
そうなったら誰でも



現代詩に思う


 今、詩や俳句、短歌がちょっとしたブームである。新聞や雑誌にも多く投稿され、ブログでも多くの方が自作を披露している。サークルや集いも活発である。それはそれで、国民的な文化の研鑽と交流において結構なことだ。

 ただ、ブームである割には書き手と読み手が乖離しているように感じてならない。つまり、書き手ばかりで読み手不在を感じるのである。折角の書き手による作品は読み手がつかずに看過され、いろんな人の評価が得られないまま書き手のマスターベーションで終わってしまうことが多い。

 その原因を考えるに、ひと口で言って難解な表現が多いからだと推測する。古典的な難解な表現を駆使したもの、無理に難解な用語を使ったもの、わざわざ当て字にしたもの、遠まわしの表現、作者でなければわからない心情と情景などである。それに加えて、評価の基準が曖昧なこともある。選者とその理由に納得いかぬものもある。

 その結果、読み手に敷居の高さを感じさせたり、分かりづらさから見放すことになる。まして、心に響く朴訥な現代詩が少ないという印象を拭えない。そう思う連中は、やおら川柳や五行歌、散文へと走る。その方が平易で手っ取り早く、素直に表現できるからであろう。

 そういうと、あなたに感受性がないからだとか、あなたに詩の心を理解する力が不足しているからだとか、あなたに古典の知識がないからだと、叱責を受けそうである。私の場合、確かにそういう面はある。しかし、そういってしまえば身も蓋もない。現代詩はそれで良いのかと、改めて問い直したい。

 そういう中、その答えに一石を投じる本に遭遇した。「対論 この詩集を読め 2008~2011」(澪標ミオツクシ、1575円)である。詩人で文学研究者である細見和之と山田兼士の両氏が渾身の感覚で詩と対峙して語り合う。詩の輪郭をあぶりだしていく面白さがある。まだ最後まで読んでいないが、現代詩について私なりの論点を繋ぎ止めたい。





対論
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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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