ポップアウト現象





 昨日、東京・歌舞伎町でビルの外壁の一部が剥離して落下する事故があった。ビルの老朽化が基本的な原因であることは間違いないが、それだけの理由ではない。気温変化による「ポップアウト(pop-out)現象」がその理由と考えられる。

 「ポップアウト(pop-out)現象」とは、モルタル内部の膨張圧によって飛び出すように剥がれる現象です。突発性凍結融解作用とでも言おうか、内部に閉じ込められた水分が凍結し、外部が急激に温度上昇することで内部の膨張圧が高まって剥離・破壊する現象です。

 ちなみに昨日の東京は春を思わすポカポカ陽気でしたので、そのことが原因と考えられます。夜は氷点下になっても昼間は気温が上昇するこれからの季節、外壁の剥離・落下や落石の事故が一番多い季節です。

 人間もしかり。冬場に溜めたストレスを徐々に発散しないと、ポップアウト現象によって爆発します。ご注意ください。





凍結融解
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科学者の品位




 

 今回、ノーベル物理学賞が日本人3名に贈られたことは非常に嬉しいことであり、日本人として誇りに思う。ただ1点、どうにも収まりがつかない引っかかることがある。受賞者のひとりである中村修二さんのことである。

 2001年、中村氏は、自身が青色発光ダイオードを発明したときに勤めていた日亜化学という会社を相手取って訴訟を起こしている。会社からの発明の対価があまりにも少ないというのが訴訟の趣旨である。当時、発明の帰属は個人にあるのか会社にあるのかという議論を呼んだ。

 中村さんは「負けてもいいから、とことん争う」と、正当な報酬にこだわった。訴訟請求額は当初、20億円であったが、3度も増額され、200億円になった。一審の東京地裁は発明の対価を600億円と認定した上で、その1/3の200億円の支払いを会社に命じた。しかしその後の控訴審で、最終的に8億円程度で決着し和解したと記憶している。そのときも中村氏は「金額には全く納得していない」と発言をしている。中村さんは適正な対価を認めなかった日本の司法に絶望してか、米国国籍を取得したと報じられている。当時、頭脳の流出だと話題になった。なお誤解があってはならないので付け加えておくと、米国では職務発明の特許権は雇用契約によって企業へ自動譲渡されるのが一般的なので、報酬はごく少額である。

 会社の立場から考えてみよう。最先端の技術開発に関わる企業は、発明できるかどうかもわからぬ研究開発に膨大な経費を投資しないと生き残れない。仮にひとつでも発明がかない利益を得たとしても、ドブに捨てた分の埋め合わせをしたり、また新しい研究開発に投資する必要がある。したがって、発明した本人に対して報酬が与えられるのはしかるべきであるものの、特許は発明者が所属する企業に帰属するのは当然である。仮に特許が発明した個人に帰属するとなると、研究開発を行う企業など存在しない。

 そもそも中村氏が青色発光ダイオードを発明できたのは、日亜化学の当時の社長の理解があったからこそでもあり、今回の受賞はむしろ会社に恩返ししたことにもなる。当時は海のものとも山のものともわからない研究開発に投資した企業にも賞賛すべきである。

 科学者は一体、何のために科学に身を投じるのか。自身が多くの報酬を得たいためなのか。自身の名誉のためなのか。そうではないだろう。純粋にその科学が好きなことが原点にあるからだろう。その好きな科学をさせてもらっている企業に感謝し恩返しすることはあっても、恨んだり訴訟を起こすなどは科学者としてあるまじき行為だと、科学分野の場末にいる私は思うのです。




共著者の責務と覚悟





 最近の科学技術関連の発表論文および投稿論文は共著のものが多い。科学技術の進化とともにテーマが専門化し、論文作成作業の細分化と分業化が進んでいる結果である。ただ、共著にはさまざまな弊害がつきまとい、私自身もいろんな苦い経験をしてきた。

 共著とひと口に言っても、名ばかりの共著が世にあふれるほど横行している。ろくすっぽ自身で論文を出さない教授が、准教授や学生の論文に無理やり名を連ねる。これは論文発表数という自身の評価点を高めたいがためである。逆バージョンで、論文内容に全く関わっていない著名な教授に、共著に名を連ねていただくよう依頼する場合がある。これは、論文の箔をつけるがためである。いずれにしても、これらはすべて名ばかりの共著であり、これこそ不正行為である。

 共著で出版物を作成するともっと厄介となる。筆頭著者がいて取り巻きの著者が多くいる場合、一次執筆、二次執筆、最終原稿、査読と長期間の工程を立てて各執筆者で分担するが、守らない人が決まって出てくる。大体にして偉い人ほど忙しいを理由に堂々と守らないから、出版工程が大幅に遅延してみんなが困ることになる。

 論文には査読がつきもの。名も知れぬ科学技術者が投稿すると、ああだこうだと重箱の隅をつつかれ、最後は踏み倒されることもある。逆に、名の知れた人が共著者にいると、それだけでスルーするから面白い。科学技術分野においては、論文の中身の評価という他に、組織としてのあるいは個人の権威や名誉がうごめく。

 今回のSTAP問題の共著に関する発言をみると、やれ分業作業だからとか、私は直近の数ケ月しか関わってないとか、直接指導する立場ではないとか、御託を並べている。見苦しくてありゃしない。本来、共著とは等しく責任を共有すべきものである。5人の共著者であれば1/5、10人の共著者であれば1/10の責任を負うべきである。名ばかりだろうが、分業だろうが、実態がどうであれ、共著者として論文が世に出るということはそういうことである。科学技術者としても最も基本的な倫理や品性に欠けた集団と言わざるを得ない。




写真の捏造




 人間、何かを守りたいときにする常套手段は、誰かひとりだけを悪者にしたり、変な理屈をこねたり、嘘をついたりするものだ。守るべきものは何かというと、自分であったり組織であったりする。献金問題で今、やり玉にあがっている某党首の場合、守りたいのは決して党ではなく、あくまでも可愛い自分である。STAP問題に対する内部調査の発表内容は、組織の存亡を賭けて「ひとり悪者」を披露する茶番劇とみる。この問題には、まだまだ隠蔽された何かがあると睨む。

 それは兎も角として、STAP問題の本質は論文引用や写真の捏造である。しかし、この科学技術隆盛の時代に、先端科学論文のこうした疑惑がなぜ瀬戸際で見抜けないのか。それも世界に冠たるネイチャーが。不思議で仕方がない。20~30年前ならまだしも、こうした捏造疑惑は簡単に見抜けようものを。

 たとえば、写真の加工や捏造の問題。工事現場などでは黒板に日付などを書き込んで証拠写真を撮って提出する。しかし撮り忘れることや日付を間違えたりすることもある。昔だったら撮り直しただろうが、Photoshopなどの写真加工ソフトが広まるや、いとも簡単に加工編集できるようになった。加工も合成も、編集も効果も何だってできる。お見合い写真もお好みの美人顔にできる時代である。

 しかし、ISO導入による品質管理が徹底してきた今日では、加工をチェックするソフトも開発されている。1枚の写真デジタルには様々な情報が隠されているので、いとも簡単にチェックできる。現実に、今では国に提出する写真も検査で篩いにかけられ、仮に加工・編集したものであればたちどころに判明する。

 下の写真はある現場で私が撮った写真の加工と編集である。報告書の中身としては許されるが、編集する前の元写真やスケッチなどの提出が義務付けられ、チェックされる。わかりやすいように編集したものは許されるが、都合の悪いデータを削除したりなどは言語道断。編集加工の制限範囲も、提出するものが報告書か冊子か論文かにもよる。同じ論文でもメジャーな学会かどうかにもよる。しかし、改ざんや捏造はあってはならないことは無論である。



写真の加工




 論文引用もしかり。様々なジャンヌの論文がキーワードで検索されて審査される。論文記述内容の一致性をチェックするソフトもある。こうした現代科学における検索システムやチェックシステムなどによって、引用、盗用、加工、編集、捏造はシャットアウトされるはずである。なぜ科学技術論文でそれができていないのか。不思議だ。写真の捏造の前に、組織的な隠蔽と捏造があるのではと疑いたくなる。




それでもエールを送りたい






 快挙に対して、マスコミは異常なほどに媚び、必要以上に流布する。しかし一旦その快挙に味噌がつくや、事実に先行して疑惑や人そのものを徹底的に叩く。媚びし高らかにに流布するのもマスコミなら、手の平を返して徹底的に叩くのも同じマスコミである。STAP細胞に関する一連の報道についてである。

 科学技術の世界においては、引用にはことの他、神経をとがらかす。科学技術に携わる私と同じ世代の研究者や技術者なら、若い頃から耳に胼胝(たこ)の如く先輩から叩き込まれたものだ。どんな小さな引用であっても、引用の所在を明らかにすること。既往の文献の図表を模倣したものはないか。考え方そのものは独創的なものかなど。

 しかし今日日、これほどまでにコンピューターが発達したネット社会では、科学技術のそうした掟が覆されそうになっているのもまた事実である。学生は勝手に他人の論文をコピペ(コピーペーストの意味)して単位取得のための論文提出を行う。審査する教授も、知ってか知らずか、見て見ぬ振りをする風潮。学会発表論文にも平気で他人の図表を引用したものを散見する。科学技術と関係ない日常生活においても、我々はモニターの有用な情報をコピペする習慣を知らず知らずのうちに身につけている。

 他人の論文を勝手に引用している学生には、恐らく悪いことをしているという認識はない。他人の論文を引用したとしても、それに自分の成果が加われば、全体として自分の成果だと認識しているに違いない。ネット社会がもたらした危うさと病みがそこにある。彼女もまた、悪いという意識はなかったのかも知れない。研究者以前に社会人としての未熟さ故でもあるが、廻りの指導者や研究機関にもその責任はある。

 最近の報道では、捏造ということまで進展しているようだ。引用にしても模倣にしても捏造にしても、それは済まされることではない。そのことは承知の上で、彼女にはすべてを返還した上で、原点に立ち帰って再度、チャレンジして欲しい。まだ彼女は若い。まだまだやり直すことができる。研究したい、その一念があるのであれば、出直して研究を継続してもらいたい。そして再び、表舞台に出てきて欲しい。そう願うばかりである





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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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