言葉と心情






 日本語というものは難しいものだ。ちょっとした言い方ひとつで、相手を気遣った優しい言葉にもなり、逆に相手を傷つけたりもする。「東北の震災によって甚大な被害を受け、今なお多くの被災者が避難所暮らしを余儀なくされ、金銭的にも精神的にも大変苦しい思いをされている」と前置きした上で、「同じような震災が東京で起きたら被災規模は何十倍にも及ぶ」と言えば済むものを。


 すべては「良かった」の一言が問題なのであり、言葉の選択を間違った訳である。しかし、そんなに大事(おおごと)なことであろうか。マスコミが大々的に取り上げ、激怒する被災者のインタビューだけを放映し、野党が突っ込んで国会が紛糾し、大臣を辞任する、それほど大事(おおごと)なことであろうか。


 公人それも大臣の発言としては、勘違いされそうな不用意で軽率な言葉であることに間違いない。しかし、国民誰ひとりとして、「東北で震災が起きて良かった」なんて思ってないし、大臣もそうである。それを承知の上でマスコミは問題劇場を作り上げる。


 我々身のまわりの一般人においても、東北のことになると、神経過ぎるほどに言葉選びをし、そして異口同音に「被災者に寄り添う」と言う。東北のことについて少しぞんざいな口のききようをしようものなら、「被災者に寄り添っていないからそんなことが言える」と逆鱗に触れる。


 一方、身の廻りに、東北の野菜は買わないし、福島の魚は絶対に買わないという人が多いのも事実。それでは一体、「被災者に寄り添う」とはどうすることなのか。ボランテイアに行けない人ができる寄り添いとは、例えば東北の野菜を買ったり、救済募金に寄付したりすることもひとつの方法ではないのか。無論、一日も早い復興を祈るのもそうだけど。「被災者に寄り添う」という空虚な言葉だけがひとり歩きし、そう発することで自己満足に浸っているように思えてならない。


 言葉は確かに大切であり、重みがある。こと弱者に対する言葉は、相手を傷つけないように注意する必要がある。しかし「被災者に寄り添う」など一見優しい偶像化した言葉が流布し、それが実体を見えなくしていることもある。あまりに慎重な言葉選びによって、意見の萎縮が生じ、本音が見えないこともある。言葉は嘘をつけるが、人の気持ちや心情は嘘はつけない。発せられる言葉だけにとらわれて、人の心情の奥底を見誤ることのないようにしないといけない。



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老いのはじまり






 今思えば、それは日常のなんでもないことから始まった。家を出てふたりで車で出かける。しばらく走って、「鍵かけたかしら」と彼女が言う。「では戻って確認しようか」と言って戻る。100%鍵はかかっている。家を出て5分や10分の近場であれば、穏やかな会話で済み、素直に確認作業に従った。しかしそれが30分も走ってとか高速道路に入ってとかになると、「いい加減にしろ!」と次第に語気を荒げるようになった。それでも鍵以上に「ガス消したかしら」と言われると、泣く泣く戻らざるを得ない。しかし、これまで不安が的中したことは100%ない。この不安行動は、「ガスよし、戸締りよし、電気よし」と、運転手のように声出し指先確認することで、ほぼ事態は沈静化した。


 それからしばらくして、トイレの電気のつけっ放しが多くなった。最初の頃は「トイレの電気、つけっ放しだよ~」と普通に注意した。たまに私にもあることなので、その場で互いに注意し合った。しかしそれが再々になると、注意していいものかどうか悩んだ。ただの消し忘れでなければ、本人に注意することで本人が傷つきはしないものかと。それで次第に告げずにそっと消すようになった。本人が傷ついて悪い方向になることを考えれば、電気代なんて知れたものである。


 「つけっ放し」や「やりっ放し」などの「ぱなし生活」が続いてからしばらくして、同じことを口にすることが出てきた。最初は、「それはさっき聞いた」「それもさっき聞いた」とつっけんどんに答えた。しかしそれが二度目になり三度目になると、恐くなった。果たして、「それはさっき聞いた」「それもさっき聞いた」と正直に返答していいものだろうかと。今は、ぐっと躊躇してから半分聞いた振りなどをしている。酔ってからの会話という分、多少の気休めもある。


 福岡の施設に暮らす義父から今日も彼女に電話がかかっていた。義父からの電話は何時間にも及ぶ。昔話、それも自慢話を延々と繰り返す。その話は何べんも1万回も聞いたと言っても繰り返す。ガラ携を彼女は耳に当てたまま炊事をしたり、たまに置いたまま用事をする。聞いてない相手に延々と話を繰り返す義父の声が漏れる。それでもたまには耳にして相槌を打たないと「ちゃんと聞いているのか」と怒鳴るらしい。義父の症状は最近さらにエスカレートし、安倍総理と友だちだとか、あの大学は私が建てたとか、この世はばい菌だらけだとか、訳のわからぬ話に彼女を含めて親戚一堂が当惑している。


 さて最初の話に戻るが、「鍵をかけたかどうか不安」というのは、年齢の問題ではなく気が小さいという本人特有の精神状態だと理解していたが、そうでもないらしい。最近、私にもそういう要素が出始めている。会社を出て「エアコンを切ったかなぁ」「プリンターの電源切ったかなぁ」と確認に戻ることが多くなったからだ。


 頭の中でどのようなことが起こっているのかわからない。人によっても環境によっても違い、必ずしも年齢だけの問題ではない。しかし言えることは、最初は小さな不安が能に働き、それが次第次第に能にダメージを与えて損傷していくのではないのか。そう考えると、鍵の掛け忘れ不安から義父の症状に至るまでも、程度の差はあれ、すべては繋がった老いの推移ではないのかと思う。


 人は誰しも老いる。体の老いはジムに行くなり散歩をするなりそれなりにカバーできるが、精神的な老いはどのように抑制すればよいのか。これは私の持論である。鍵の掛け忘れ不安のように、精神的な老いはすべては不安から始まる。声出し指先確認のように、不安に正面から対峙して丁寧に解決する。解決できればくよくよしなくなる。どうにかなると能天気に気構える。デジタル機器を積極的に楽しむ。楽しい行事に積極的に参加する。要するに、いつも頭を使って楽しく飲んで食べること。それが精神的な老いを抑制する良薬だと思うのである。




義兄の死






 私は今、恩人の義兄が亡くなり、打ちひしがれた思いで泣きじゃくっている。


 義兄は寡黙で不器用な大工職人であった。大工仕事一筋に、家事はおろか、日常の一切を私の姉に任せっきりであった。姉の死後、世間のことも家の事情も一切わからず、それこそ現金ひとつ通帳から出すことすら儘ならなかった。


 義兄の人生は、頼りきっていた姉の死によってぽっかりと空き、それに癌の病が追い討ちをかけた。生きる希望も生気も失せ、いわば亡骸の状態であった。最期は体全体に癌が進行して、痛々しい姿で逝ってしまったと聞く。頼り切っていた姉の死後の義兄が不憫でならない。せめてもの救いは、一人娘と孫のいる関東に引き取られて後のことであった。それに、頼る姉の元に逝って良かったと思う。


 私が高校3年のとき、到底、大学に行けるような経済環境ではなかったが、たまたま育った田舎に国立大学の医学部と工学部があった。もうすっかり進学を諦めていたところ、工学部だったらわが家に下宿して通えるから進学したらどうかと、義兄から救いの言葉をいただいた。文系を目指していたがそんなことはどうでも良く、一気に進学という重い扉が開いた歓喜の瞬間であった。


 その義兄がポツリと発した、天使のような救いの言葉は今でも耳に残る。工学部の学生生活は厳しい。昼間は講義を受けて、夜は遅くまで実験をやる。寝袋で大学に寝泊まりすることも多かった。そんな私に、姉と義兄が夜の弁当を届けに大学に来てくれた。深夜に下宿先の義兄の家に戻ると、食卓にニッカウイスキーの大瓶が置いてあり、「自由に飲んでください」と書置きがあった。


 姉と義兄には恩返ししたつもりでいたが、ふたりを亡くしてみて、恩というものはそうたやすく返せないものだとしみじみ思う。義兄が手を差し伸べてくれなければ、大学の進学も今の自分もない。しかしそれよりも、義兄の死は、人の恩を慈しみ、感謝して生きねばならぬことを、改めて私に教えてくれた。最期のお別れをすることすら叶わなかった私を、寡黙の義兄が天国から叱っているかも知れない。



災いの中にも光あり






 遅々として進まぬ救援物資の手配、必要なところに物資が全然届いていない現状、避難所の衛生状態は悪くなるばかり、辛うじて自宅があっても揺れが恐くて車中泊する多くの方々。避難の長期化によって、発病、衰弱、エコノミー症候群などによる災害関連死も増えてきている。


 そんな中、避難している休校中の学童が率先してボランテイアをする動きが出てきている。自衛隊と一緒になって炊き出しの手伝いをしたり、避難所の廊下を雑巾がけしたり、暖かい飲み物を配ったり、お年寄りに話しかけたり肩を揉んだりしている。学童の保護者によると、避難した直後は生気を失っていたがボランテイアを始めて生き生きしてきたと言う。


 地域の年配のボランテイアが頑張っている姿が避難児童の背中を押し、それに刺激されて大学生や若者の活動もさらに大きな力になっている。小さな活動の積み重ねが避難所毎に大きな連帯と信頼の輪になってきている。児童の溌剌とした活動に、お年寄りの顔にも自然と笑みが出た。 


 辛い辛い現状の中にも、小さな小さな明りが見えたような、そんな気がしてホッとしている。学童は学校では決して学べないことを、今学んでいるのだと思う。お年寄りにとって、孫ほどの学童の笑顔と手助けがどんなに励みになることか。大学生や若者も社会人として最も大切なことを今、学んでいるのだと思う。


 震災と言う災いの中で、生き延びるということはどういうことかをみなが学んでいるような気がする。何もできないでいる自分であるが、いつかこの経験が大きな実りになることを祈るばかりである。




人の情(なさ)け






 小学校時代、遠足に行くのが嫌だった。家が貧しくて、遠足のお弁当もいつもと同じアルマイトの日の丸だったから。私のリュックには日の丸とともに、おやつとしてリンゴがひとつ入っていた。それでも日々の暮らしぶりからすると、リンゴまるまる1ケをリュックに積めるのには、母は子に申し訳ない胸中ながら、かなり無理したのだと思う。


 ただ、遠足は少し気が楽なところがあった。恥を白日のもとにさらされる毎日の給食の苦痛を考えれば、精神的には楽だから。遠足の昼飯どき、私はみんなと一定の距離を置いて木陰で過ごす。


 するとしばらくして、担任の女性の植木先生が私のところにやってきた。先生は「食べた?」と私に聞く。「うん」と頷く。「先生、これ食べきれなかったから半分食べてくれない?」と弁当を差し出す。「代わりにリンゴを少し貰うね」と言って、取り出したナイフでリンゴの皮を丁寧に剥いて切ってくれた。人の情けを初めて感じた瞬間である。大きくなって、植木先生に感謝したくて随分と探したが、未だに消息がわからない。


 以来、人生を長くやっていると、そのときどきで人の情けを感じる。幼い頃に貧しさを経験したからこそ、人からの恵みや幸をほんとうにありがたいと実感できるのだろう。30歳のとき生死をさまよう大病をして、いろいろな人の世話になった。その経験があるからこそ、健康のありがたさに心から感謝し、周囲の人の支えの上に生きていることを実感できるのだろう。これまでに受けた人の情けは、今度は生涯かけて恩返ししていこうと誓う。





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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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