『しつけ』の難しさ






 北海道で起きた小学生置き去り・行方不明騒動は、無事に保護され事なきを得た。本当によかったねと、誰もがほっと胸をなでおろした。しかしそれも束の間、「置き去りするとは何事か」と、その子の父親をなじるメールや電話が殺到した。テレビでお馴染みの某教育評論家に至っては、「両親の行為は虐待であり、警察に間違いなく逮捕される」と自身のブログで批判する始末。身近の家人も「なんて酷いことをする」とテレビを見ながら父親を批判する。


 これらの両親に対する一連の批判に対して、『しつけ』という観点から何だか割り切れないものを感じる。その子は直前まで他人や他人の車に石を投げていたという。注意しても止めないから一旦、車から降ろした。そして再度乗せたがそれでも続けたので、お仕置きのつもりで置き去りの形をとったという。伝えられている内容なので事の詳細は定かではない。しかし父親の会見を見て、とても優しい父親であり、その子の将来を見据えて育ててきたであろうことは間違いなく読み取れる。


 確かに山中にひとり置き去りするのは危険かも知れない。『しつけ』の時と場所を間違っていたと言える。そのことを前提にして、「あの子がかわいそう」「父親はむごい」と批判だけする人に問いたい。それではあなたはどのように『しつけ』しますかと。悪ふざけの内容にもよるが、人に石を投げれば怪我をさせることになり、車に石を投げれば補償することになる。そんな行為も見て見ぬふりをするのですか。そうでなければ、どのような方法で『しつけ』すると言うのですか、と。


 幼稚園の年長から小学校の低学年にかけて、最初のやんちゃで聞かない時期がある。ただのやんちゃであればいいが、ときには凶暴であったりもする。私も子どもで経験し、今は孫にも同じ経験をしている。突如道路に走り出して命を落とすこともあり、物を投げて他人を傷つけたりもする。一方、この時期は自我が芽生える時期でもあり、自我を大切に育む必要がある時期でもある。


 子や孫が大切で可愛いのはどの親も同じ。では、可愛い、可愛いでよいのか。優しい、優しいでいいのか。なにをしても許していいのか。それは違うでしょ。その子の将来を見据えて教育的観点からの『しつけ』が必要でしょ。ただただ優しいばかりの親や先生が多い今日の状況を見て、これで日本の将来は大丈夫かと憂う。愛情を持ちつつ、ときには体を張った覚悟の『しつけ』が必要であると私は考える。実は、家人との心のすれ違いは子の『しつけ』の考え方の違いから始まった。『しつけ』とはそれほどに難しいものだと、北海道の不明騒動を見て今更ながら思うのである。




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年頭雑感




 いつもは会話の少ない暗い日常から、年末年始に子供たちや孫を迎え入れると、一転、楽しいながらも喧騒たる非日常の日々を過ごした。その客人も台風一過のようにあっという間に過ぎ去ってしまうと、また静かな日常の日々に戻った。

 「みな帰り 路面も凍り ひとり酒」。帰りし日、正月には珍しい雪化粧となった。山頭火風に歌ったつもりであるが、山頭火風なら非定型で書けとの意見を頂戴した。

 そして今、寂しい思いと安堵感が同居している。いくつになっても娘や息子は私の子に違いない。その子たちがお正月やお盆に実家に帰りたいというなら、先祖の墓を参りたいというなら、いつでも受け入れてやろう。ただ迎える側は相手がたとえ身内であっても、不備はなかっただろうか、満足しただろうかなどと、後で気を揉むのも事実である。

 親と子の関係は時代の変遷とともに益々冷え切ってきている昨今であるが、このように帰ってくるだけマシだろう。会えば要らぬ言葉も発する。いろんな感情の綾も生じる。しかし、会って話さなければ相手の気持ちがわかろうはずがない。こうして会ってさえいれば、なんとか人間関係は繋ぐことができる。そうしみじみ思うのである。

 さて、気を取り直し早く日常のペースを取り戻さなければいけない。私も今日からスターを切りました。みなさまにとって、今年一年が健やかで平和な年になりますようお祈りいたします。併せて、本年もご愛顧いただきますようお願いします。







日の出
(マンションから見た日の出)

わが娘よ




 わが娘は結婚して5年になる。毎朝、4歳児を保育園に預けて共働きに精を出している。娘の旦那は夜の飲食業なので夫婦はすれ違いの生活。娘は日中、目一杯働いて、帰りに保育園に孫娘を迎えにいき、それから夕食の準備をして食べさせ、旦那の夜食の準備、風呂や洗濯と、休む間もなく働きづめの毎日である。よくやっているなぁと、常々、感心している。

 他方娘は、ガチガチのA型が主流のわが家系において特異なO型の異彩を放ち、周囲をびっくりさせることが多い。天真爛漫といえばそれまでであるが、無計画にとっさの思いつきですぐに行動に移す。何事にも積極的ですぐに行動に移す点は、父である私にそっくりである。あるときは、自身の生まれたルーツを訪ねたいと、幼子を連れて名古屋行きの深夜バスに乗り込む。またあるときは、連絡がつかないと思っていたら「今、ベトナムに来ている」と電話がある。そんな調子だから、また何をしでかすかと、周囲はひやひやものである。

 そんな娘の家計を少しでも助けて日頃の彼女の労をねぎらおうと、連休などは孫ともども泊まりに来るように誘う。しかし先週の連休は他に予定があるようで来れないと言う。ところが夜になって、「今から泊まりに行ってもいいか」と電話があった。断る理由もないが何も食べさせるものがないので、途中駅の寿司屋で待ち合わせをした。

 寿司屋にて日頃食べれないものを娘や孫にご馳走をして、さて今日の休みはどういう一日だったかと尋ねた。すると、孫を保育園に預けてボランテイアに行ったというではないか。例の広島の大規模災害のボランテイアである。それも今回で2回目だと言う。リュックに長靴や軍手、マスク、着替えなど一式を詰め込んで災害現場に出かけ、朝早くから泥んこになって土の撤去をしたという。へとへとになって保育園に迎えに行ったら夕食を作る気がしなくなったので電話したと言う。

 ふむふむ、わが娘にしては感心なことだ。それでなくても日頃忙しい身なれば、たまの休みは体を休めればいいものを。それでもわが身を削ってまで人のために尽くすとは、いいことをしたと大いに褒めてやった。

 ところでボランテイアといえば、阪神淡路の大震災のときに娘とひと悶着があった。当時、娘は大学生で家から通っていた。「悠々自適に大学に行くような暇があるんだったらボランテイアに行きなさい」と命令した。すると娘から、「そう言うお父さんはどうなの?ボランテイアに行く気はあるの?」と返された。私はすごすごと2階の自室に上がり、ボランテイア登録の電話をしたのを覚えている。

 結婚しても娘は娘。歳をとっても娘と父。よく似たもの同士の父と娘はいつまでも切磋琢磨し、たまには喧嘩もし、笑い合えるよき父と娘の関係でいようぞ。そう思う秋の連休であった。




盆栽





 6月の第2日曜日、マンションの一室で朝飯を済ませ、さて今日はワールドカップの初戦だと少し高揚した気分のところ、ピンポ~ンとマンションロビーからのチャイムが鳴った。出ようか出まいか迷った。客は来るはずもないからチャイムの相手は勧誘などろくなものではない。そう思ったが、一瞬、今日は父の日だと気づいた。

 宅急便のあんちゃんがエレベーター越しに運んできたものは大きな段ボール。息子からの父の日プレゼントは、毎年、お酒かポロシャツが定番なのだが。おずおずとダンボールを開けると、ダンボールの底から緑と土の匂いがした。それは五葉松と長寿梅の盆栽であった。






盆栽




 粋なことをしやがって。さて、どういう意図なのか。とりあえずお礼のメールをした。「ありがとう。大切にします。」いつもの淡白な返しに続いて「盆栽を枯らす前にこちらが枯れないように頑張る」と付け加えた。するとしばらくして、息子からメールがあった。「盆栽の世話でもして、少しのんびりとしてください」とあった。

 てやんでぇ~。のんびりなどできるか!と思ったが、同時に、若い頃から仕事一筋に突っ走ってきた父への息子の思いがわかるような気がした。折角の息子からのメッセージ、大切に受け止めて、走りながらときどき休もう。






わが孫娘は凶暴にて



 日曜日の夜の、娘からのたった1本の電話で次週の仕事の予定が大狂いとなった。孫娘が水疱瘡にかかって保育園に行けないからしばらく預かってくれない?との内容。安月給で共働きの娘夫婦のこと、そこは周りの者で協力して助けてやらねばならぬ。それはわかるが、こんなとき娘の旦那の実家に相談することはなく、なぜだか決まってこちらにお鉢が回る。向こうの爺は無職でこちらの爺は現役だというのに。でもまあ、孫にとっても甘~いから簡単に受けてしまう。

 4歳と少しになった孫娘はますます成長し、大人との会話に不自由しないばかりか、大人の顔色や気配をみては甘えたり拗ねたり、はたまた横目で睨むなど自在にこなす多重人格者に成長していた。お好みグッズもキテイちゃんやドラえもんを卒業し、ハピネスチャージプリキュアなるものへと心変わりしていた。それでもまだ4歳、抱っこ抱っことせがんだり、一緒に照るテル坊主作ろつとか、トイレに入るとドアを開けないでねと念を押したりと、おしゃまさと幼さが同居している。

 孫が来るのは嬉しいし、孫の成長を見るのは楽しみである。ただ困ったことに、この孫娘は凶暴なのである。普段のしぐさから荒っぽいおてんば娘である。部屋のドアをバーンと思いっきり叩いて開けたり、ソファの肩を綱渡りしたり、テーブルにじかにクレヨンで書いたり、フローリングの上を引きずって走ったり、おもちゃが入った段ボールをダーンとリビングにひっくり返したり。そんなわけで、ピッカピカだった我が家のマンションはどこもかしこも傷だらけとなってしまった。片づけては掃除機をかける間にまた汚すことのイタチごっこ。あれは駄目、これは駄目とこまごま叱ってもと、今では諦めモードで散らかしっきりで家財道具一式を投ずる覚悟でいる。

 おてんば孫娘は、ときどきヒステリックに凶暴となる。気が立つというのか、癇癪もちというのか、気に入らないと突然に物を投げたり周りの大人を蹴ったりと凶暴になる。娘が仕事を終えて帰ってきたある夜も、突然、私の眼鏡を投げたり、そこいらへんの物を投げたりした。

 普段のおてんばは目をつむるとしても、人が嫌がることやあまりの凶暴にはちゃんと諭さねばならぬ。ただ、諭すにしても諭し方があり、周りの大人の共通意識がなくてはならない。「○○ちゃんはね、普段はとってもいい子だよ」と褒めることから始める。やっていいことと、やっていけないことの区別をこの歳からちゃんと教えなくてはいけない。そして一番大切なのは「ちゃんと本人が謝るまで許さない」という大人の共通意識である。ひとりでもいい親やいい爺をぶっては台無しになる。今回、その甲斐あって、シャワーをしていたバスルームを開けて孫が謝りにきた。声が小さい!と、後ろからついてきた娘が言う。なぜ悪かったのか言いなさい!と。それを何度か繰り返して、孫娘は最後はちゃんと言えた。凶暴な孫娘のひとつの成長過程を見たようでもある。




なお4歳




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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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