努力と成果





 サントリーの「プレミアムモルツ」というビールがある。正式には「ザ・プレミアム・モルツ」と言うらしい。この夏、お中元にその「プレミアムモルツ」をいただいたのだが、どうにも飲みなれてないため、のしが付いたまま放っておいた。が先日、いつの間にか1本だけ冷蔵庫にあるのを見つけた。「溢れ出す華やかな香りと深いコク」が謳い文句のその高級感漂うビールを恐る恐る口にしたが、さほど美味しいとは思わなかった。その感想を友人に話すと、「なんて失礼!起死回生をかけて頑張って作ったサントリーの人々の苦労を知らないな」と叱咤された。「苦労したかどうかは別として、不味い物は不味い」と内心、思った。


 いつもは、「のどごし」や「グリーンラベル」といった安いビールを美味しく飲んでいる。嗜好の問題だから誰がどれを美味しいと感じるかは千差万別。ただ、価格も関係する。「プレミアムモルツ」を美味しいと思っても手が出ない人もいるかも知れない。私みたいに舌が肥えていない輩もいよう。そこで、どんなビールが売れているのか、ちょっくら調べてみた。 ビール系飲料の売れ筋ランキングの1位は「のどごし生」(キリンビール)である。2005年発売以来11年連続ナンバーワンという。2位以下は、「アサヒスーパードライ」(アサヒビール)、「クリア」(アサヒ)、「一番搾り」(キリン)、グリーンラベル(キリン)、「麦とホップ」(サッポロ)と続く。


 ビールの味自慢はさておき、ここで問題にしたいのは、起死回生をかけて頑張ったとしても必ずしも売れ筋にはならないということだ。努力すれば努力したほど良い成果が生まれるとは限らない。毎日、深夜までバットを振っている野球選手だって、試合で結果が出なければなんにもならない。私の仕事でも同じだと思う。地質を調べて報告書を提出するのだが、時間をかけて丁寧に詳細に作ったと思っても案外、評判が悪いことがある。逆にそんなに手をかけていなくとも、「このポンチ絵分かり易いね」、「素人にも分かるね」と高い評価を受けることもある。また、自他ともに立派な成果が作れたとしても、請求書を見て驚嘆し、客を失うこともある。


 成果が芳しくなかったとき、人は、こんなに努力したのにと嘆く。しかし、その努力は自己満足に過ぎない。顧客が満足する品質と価格こそが正解であり、目的がそこにある以上、それを達成するための努力の方向性を吟味すべきである。無論、顧客の満足を得るための努力は必要であるが、結果として成果が芳しくないということは、努力の方向性が間違っているということになる。努力と成果は比例しない。がむしゃらな努力より賢い努力を選択したい。ただ、ときどきは、成果に直結しないが、とことん追求する努力を遊び心でやっている。




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Xデー







 日本上空をミサイルが飛び超え、水爆実験が繰り返され、いよいよ核を搭載したICBMが実現されようとしている。一歩一歩、しかし急速なスピードで恐怖のXデーが忍び寄っている。


 今回の水爆実験の威力は広島に投下された原爆の三千倍以上と言われている。攻撃対象によって、威力を数十キロトン級から数百キロトン級にまで任意に調整できるとも誇示している。そして、それ以上に最も脅威なのは、朝鮮中央通信が「高い空で水爆を爆発させ、広い地域に超強力なEPM(電磁パルス)攻撃さえ加えられる弾頭である」と明らかにしたことである。


 EPM(電磁パルス)攻撃がなされれば、対象国全土の情報通信機器が機能不全となり、すべてのインフラ機能やレーダーなどの防衛網を停止させ、対象国は核の被害に遭うまでもなく国は消滅する。


 世界は、国連は、「断じて許せない行為」、「最も強い制裁を与える」と強い言葉を発するが、制裁の効果は全くなく、手詰まり状態でいる。そんな中、「北との戦争やむなし」との米世論も台頭しており、万一そうなれば、地球規模の破滅が予想される。


 世界は最初「北にそのような力はない」と見くびって失策し、次に「北の核保有を断じて認めない」と制裁するものの、一切構わず、北は核保有を実現してきた。「北はならずもの国家」と罵声を浴びさせたところで、なんの解決にもならない。


 我々日本人は米国に組した立場で物を考えるから、北はとんでもない国だと思うのである。しかし、そもそも論で考えると、核保有国が核を手放さないどころか削減の意思もないのに、相手国の核保有を認めないというのは、いかがなものであろうか。道理が通らない話である。


 世界の破滅を阻止するために真剣に北と話し合うためには、核保有国が核の撤廃という強い意思をもって、対等の立場で北に向くことしかないのではないかと考える。平和な世界を子供や孫の世代に引き継ぐために、世界の英知をもってこの難局を救うことを祈る。




福島への想い、その実と虚







 福島原発は未だ終わっていない。それどころか未だ収束のメドすら立っていない。そのことを国民の誰しも重々、認識しています。その一方で、福島を見殺しにはできない、応援したいという想いが国民の誰しもあることも事実です。


 しかし、あなたは福島にボランテイアに行きましたかと尋ねると、NOと言う。では、あなたは福島のために何をしましたかと尋ねると、せいぜい募金の寄付程度です。それどころか、近所で福島県産の野菜やお米の応援バザーがあっても、買わないあなたがいます。それを責める私も、積極的に買って応援するかと言えばしない卑怯者です。被災地に寄り添うという言葉だけが空虚に通り過ぎます。


 「食べて応援」というキャンペーンや慰問で福島をたびたび訪問し応援した有名人が多くいます。北斗晶さん、大塚範一さん、今井雅之、さとう玉緒さん、坂本龍一さん、、西川きよしさん、松方弘樹さん、渡辺謙さん、地井武男さん。その著名人の多くが既に癌でお亡くなりになったか、癌との闘病生活をしておられます。


 このように、福島と癌の因果関係をこじつけるのは、全く千万、差別極まりなく、失礼なことです。しかし、まったくのデマと言えるのでしょうか。福島の医師が岡山に移り住み、福島の米農家が自身では他県産を買って食べているという現実。福島の子どもの甲状腺癌は180人以上であり、チェルノブイリの5倍以上という現実。それを無視できますか。


 福島のことを言うと過剰反応は凄いですが、誰かがきちんと言わないといけないのです。子どもの甲状腺癌の実態など、福島=癌を払拭するためには情報公開をすべきなのです。福島由来の放射性物質は約200種あって、実際に対策を行っているのはセシウムだけという有りさまであり、つまりセシウム外の対策の現実を公表すべきなのです。情報公開、この国に欠けているのはこのことです。




アナログへの郷愁






 仕事柄、よく観察する。観察の対象は、山であったり、岩石であったり、自然災害であったりと、いろいろである。時間をかけて観察すればするほどに、いろいろなことが分かってくるものだ。ただし、山も岩石も自然も、なにも喋ってくれないので、自ら山や岩石や自然の中に深く入り込み、よく観察して新しい発見をしなくてはならない。観察してスケッチして、さらにまた観察して、目の前の岩石の生い立ちや形成過程を思い巡らすと、いろいろと想像できてくる。深海で堆積した粘土と砂が海底地すべりによって大きく移動し、その後、恐竜がいる時代に火山爆発があって火山灰が積もり、さらにその後の断層活動によって地層がずれて今ここにある、といったようなストーリーが思い浮かぶ。そういう訓練と知識を積み重ねていって、ようやく精度が高い推理ができてくる。最終的には岩石の前に座って、岩石と会話できるようになれば一人前である。


 大学を出て入社したての頃、例えばダム建設予定地の地質を調べるために地方の現場に出張したとすると、「地質図ができるまで帰って来るな!」と上司に言われたものだ。それだけ、ちゃんと時間を掛けて観察して来いということだったのだろう。複数の社員で出張に行くと、夕飯の後、ワイワイガヤガヤとひとしきり人生論をぶちまけた後、深夜まで汗とインクの匂いの中で畳の上の地質図と格闘した。その精神を受け継いで、起業後も、社員には無駄を承知で自分で納得するまで徹底的にやるように指導した。その積み重ねが、根に足がついた真の技術力を磨き、ひいては人間形成に欠かせないと自負するところである。


 ところが時代が変われば変わるもの、今では余裕が全くない。「まだできないのか、適当に済ませて早く帰れ!」と上司から言われるのが関の山。社会全体、世の中のすべてがその調子である。新幹線や高速道路が整備されて泊まりの出張が少なくなる。必然的に出張先で会社の愚痴を言い合ったり、人生の議論をしたりすることもない。パソコンの急激な発達によって、なにもかもがあっと言う間に計算できたり、まとめたりできる。会話はメールかLINEが主流となり、実際に相手の目や表情を伺いながらの会話がなくなってきている。


 この発展した近代社会の恩恵に預かりながら、この情報社会の先端ツールにどっぷりと浸かっている身ではあるが、これではいけないという思いが強い。例えば私の仕事の関係で言うと、難しい計算を昔はすべて手計算でやっていたのが、今ではソフトを使って瞬時にできる。すごく便利な世の中なのだが、若い技術者は手計算でやった経験がないため、本質的にどのような計算をしているのか理解してない。計算する上の適用条件を把握してない。入力する値にどのような意味があるのか無知である。その結果、出力されたとんでもない値にも、おかしいと気づかないのである。


 技術に関わる問題だけではない。ライフラインが整備されてどこにでも短時間に行ける便利な世の中にあり、ギガからテラ、ペタへと大容量の情報社会の恩恵に与っている。しかし一方、地方ではかつては賑わった商店街がどこもシャッター通りと化し、人と人のふれあいが希薄になり誤解から摩擦になることが多くなっている。事の本質を理解しないで、メデイアに誘導された情報を信じる。ゆっくりと全体像を考えることなく、目先の数字にとらわれる。そもそも、人生とはなにかを考える余裕すらなくなっている。社会の効率化や迅速化に待ったをかけるつもりはないが、ときどきはスローの時間を持つのも大切だと感じるのです。人の話に耳を傾ける、各駅停車に乗って地元の人と触れ合う、大自然の中で過ごす、人それぞれの方法で、今一度立ち止まってみることも必要かなと。そうしないと、社会にも個人にも大きな落とし穴が待ち受けているように思えてならないのです。





巨大地震の予感



 



 大分県のとある山里で5月下旬から地割れが発生し、現在も拡大を続けている。地割れの箇所は81箇所に及び、現在も1時間に数ミリ単位で拡大している。避難勧告が発令され、長期化を睨んで仮設住宅の設置が決定した。「謎の地割れ」と地元新聞などで騒がれてたが、実はそこは地すべり地帯であるので、地すべり活動が活発になったのだろうと一件落着の模様。




綿田地すべり
(西日本新聞より引用)




 しかし、どうも地すべりだけでは解決できない深刻な問題を抱えている。なぜなら、この場所は大分県豊後大野市朝地(アサジ)町綿田(ワタダ)地区であり、中央構造線上にあるからだ。言わずもがな、昨年4月に発生した熊本地震の震源も中央構造線上にある。阪神・淡路大震災が2ケ月程度で収まったのに対して、熊本地震は1年以上も経った今でも震度4の余震が続いている。このことから、熊本地震をきっかけに中央構造線そのものが活発化していると考えることができる。つまり、地割れはその前兆現象と見ることができる。



中央構造線
(Google画像を引用・編集)


 私自身、昨年、大分・鶴見岳で観察した変状からも、中央構造線側からの突き上げ(隆起)が確認され、熊本地震と中央構造線の関係に関心を持っていたところである。

鶴見岳

鶴見岳

(個人の写真とスケッチ)




 思いつくのが約400年前の慶長地震である。徳川家康が大坂城西の丸に入城した年(1599年、慶長4年)の3年前、1596年9月1日の慶長伊予地震、同月4日の慶長豊後地震、さらに同月5日の慶長伏見地震と飛び火した。1週間という短期間に、大分県、愛媛県、京都府と大地震が勃発したが、これらもすべて中央構造線上にある。熊本地震はある意味、序章に過ぎず、これから、豊後(大分)、伊予(愛媛)へと巨大地震が波及すると考えることは、あながち暴論とも言えない。そうであれば、中央構造線上にある伊方原発を即刻、廃炉することが急務である。






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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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